普通ごみは火・金

普通ごみをいつ出せばいいのか毎週忘れてしまうので、ブログのタイトルにしました。他にも忘れそうなことをメモしていきます。

チャットモンチー「8cmのピンヒール」の凄さ

人にはそれぞれ好きな音楽があって然るべきだし、その理由についても、サウンドが心地よい、歌詞がいい、歌っている女の子がかわいい、など様々あってよい。
ここで、「歌詞がいい」について考えてみた場合、その「いい」をもう少し深く掘り下げると、主に自分自身の経験に基づく「共感」の気持ちであることも多いのではなかろうかと思う。
「自分にも昔、似たようなことがあったなあ」
「こういう場合、確かにそんな思いになるだろうなあ」
というふうに、歌詞の中の主人公に自己を重ね合わせた結果、大袈裟に言えば、「こいつは、俺/私だ!」となり、この歌詞は素晴らしいことだなあと感じるのだろう。
もしくはその逆で、自分には到底思いつかないようなことを語る歌詞について、「すげえ」と感じる、ある種尊敬の念に似た「好き」の形もある。

チャットモンチーというガールズバンドの曲に、「8cmのピンヒール」というものがある。
ざっくり言ってしまうと、恋する女の子の歌である。
一方、僕は20台半ばの男性で、彼女も3年くらいいない有様なので、この曲の主人公の女の子と僕の間には、なかなか大きな隔たりがあるように思う。
そんな僕だが、この曲の中の、
「8cmのピンヒールで駆ける恋」
という一節が好きだ。
僕は先述の通り女の子ではないし、恋もあまりしていないし、8cmのピンヒールを履いたこともない。履いた感覚や、それがどれくらい足に負担をかけるものなのか、どれくらい走りにくいのか、などといったこともまるでわからない。
しかしながら、それでも、「8cmのピンヒールで駆ける恋」の感覚というか、ニュアンスというか、とにかく何かがわかる。
「好きな男は背が高いほうなのかな、ピンヒールでちょっと背伸びして、実にかわいい女の子であることだなあ」という客観的な視点での評価であればまだ普通だ。それは男性としての僕の意見であるからだ。
しかしそうではない。僕は、主人公の女の子に自分を重ね合わせている気がする。なぜ自分にこの感覚がわかるのかがわからないが、とにかく共感めいたものがふわっと体を通り過ぎていく。
これは驚異的なことだと思う。

この歌詞を書いたのは、ドラムの高橋久美子さんという方で、現在はチャットモンチーから脱退してしまっているらしい。
とにかくこの歌詞は凄い。